2018年6月30日土曜日

四十而不惑

『日本の古典講義』内田樹/安田登著
を読んでいた。

『吾、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る』

四十而不惑。私はいま40歳。
全くしっくり来ない。
迷いがなくなるどころがぶれにぶれまくっている。
そんな事を思っていたら、この本の中でこんなような事が述べられていた。

これは惑わずではなく、自分を見直してもう一度自分の枠をはずしてみろと言う事だと。

「惑」

これはもともと

「或」

と書いたらしい。

「或」は区切ると言うことだ。

「不或」
つまり、枠をはずせと言うことだと。

そうか、これは凝り固まった自分の枠を今一度はずしてみろという事だったのか。

そう考えるとじつにしっくり来る言葉だ。

180630

2018年6月22日金曜日

能について

能を習い初めて半年以上が経つ。

思っていた以上に自分に合っているのか非常に楽しい。
謡、仕舞い双方ともにとても楽しい。
どちらかと言うと合気道などのつながりから身体を動かす方に興味があったのだが、
実際にやってみると謡が非常に面白い。

井沢元彦氏は「逆説の日本史」の中で「能は現代でいう所のカラオケのようなもの」と言っていたが、実際にやってみるその事を実感する。
ただ、観ている時は退屈なものでしかなかったのだがやってみるととても楽しい。そしてとても気持ちがいい。
能は見るものではなくてやるものだと思った。
そして、やる事によってまた見ることが楽しくなるのだ。

声に出し、身体を動かす事によって能の奥深さを初めて感じる事ができた。

そう考えるとこの能と言う芸術を生み出した世阿弥は本当に天才だと思う。

能は観阿弥、世阿弥親子によって完成されたとされるが、やはり芯となる部分は世阿弥が完成させたと言って良いだろう。

能と言えば旅僧と亡霊とのやりとりと言うイメージが強い。
名所旧跡を訪れるワキ(旅僧)にシテ(主人公)がその地のいわれなどを語り
後場でシテが本来の姿になって舞い踊ると言う形。
シテは前場では現実の人間の姿をしているが、後場ではありしの姿や亡霊となって登場する。

これを夢幻能と言うが、世阿弥以前にはこの形式はなかったようだ。
父観阿弥もいわゆる現在能しか残してなかったようである。
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夢幻能→超現実的存在 (神・霊・精など)がシテ(主人公)となる。
現在能→生きている人間のみが登場する。
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世阿弥は何故この夢幻能を生み出したのであろうか?

井沢元彦氏や梅原猛氏は能は鎮魂の芸術だと言っている。
不幸な死を遂げた人物を無事成仏させる為に行われていたのが能であると言う。
能全てがそうではないが、確かに世阿弥の描いた夢幻能は鎮魂の意味合いが強いのだと思う。

信長、秀吉、家康、歴代の武将たちがこぞって能を愛好していたのも面白い。
信長が本能寺で敦盛を謡い舞ったエピソードは有名だ。
能を謡い舞う事によって精神を安定させる何かが生まれるのではないだろうか?

能を実際にやると気持ちが高揚して身体がとても気持ち良くなる。
それはカラオケと似てるかもしれないが、それよりももっと深みを感じる。
ランナーズハイのようなエンドルフィンが出ているような感覚さえも覚える。

そこにあるリズムや節回しなどがそうさせるのであろうか?
その理由はわからないが、だからこそ能は世阿弥から600年以上経った現在でもその形が受け継がれているのだと思う。
そして、日本人の奥底に眠る身体能力を呼び起こしてくれる何かがあると思う。

180622







アウトプットする事

アウトプットする事
この大切さを常々理解しているつもりなんだけどなかなか継続できない。

頭の中をもっと練りたい。アウトプットする事によって自分の知識の肉付けをして行きたい。
最近だと、能とかギリシア神話とかそういう事をもっともっと勉強したいと思っているんだけどなかなかその知識の肉付けができないでいる。
ただ、知識を得るだけでなくそこに自分の考えや哲学と絡め、本当の意味での知性という物を身に付けたいと思う。
そういう事もやはりコツコツとアウトプットを続ける事が重要なのかなと思っている。
何かを学ぶ時に取り入れよう取り入れようと思ってもなかなか入っていかない。
むしろ、何かを出したい、表現したいと思った時に知識が吸着してくるような気がする。

手塚治虫があれだけ多忙な中、色々知識を得る事ができたのは「表現したい」という強い欲求があったからではないだろうか?

私もこの表現したいと事を強く持つ事で色々な事を吸収して行きたい。
180622



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